ソラマメブログ

  

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2009年08月26日

ヘッドセットに怒りをぶつける日記vol.02

はい、こんにちは。わたくしです。
なんだか眠れないので思いついたことを投稿します。


だいぶ前にヘッドセットのことで怒りをぶつけたわけですが、
今回はそんなヘッドセットに対するあれです。
対する言葉が思いつきませんのであれと表現してます。


わたくしは今現在、USBタイプのヘッドセットを使用してるのですが、
これは前にも書きましたとおり、SL起動前にあらかじめプラグを差し込んでおいて
その後SLを起動しないと作動しません。
SL起動後にプラグを差し込んでも反応しないのです。


そのことを周りの人たちにも説明したところ、
同じ症状の人がかなりいました。


スカイプを使うときはスカイプ起動後にUSB式ヘッドセットを使用しても
ちゃんと作動してくれます。
SLに限って作動しないのです。


なぜなのかは原因が分かりません。
SLがそういうのに対応してないだけなのかも知れません。


ちなみに参考になるかも知れないので
わたくしのPCのスペックを書いときます。


【PCのスペック】
OS:Windows XP home edition servicepack3
CPU:Intel 入ってる Q9550
メモリ:どっかのやつ4GB (2GBを2枚挿し)
マザーボード:忘れた
グラボ:ATI Radeon HD4870

以上です。
すごく参考になったと思います。


  


Posted by G at 03:34Comments(2)暗黒の書

2009年08月08日

カンニング疑惑(小学生編)に怒りをぶつける日記

はい、こんにちは。わたくしです。
最近蒸し蒸しして気分悪いので今日は嫌なことを思い出しました。
小学生の頃の話です。


わたくしの幼少期はとにかく母親がザーマスな人で
勉強しろ勉強しろとうるさかったです。
夜中にレッキングクルーというマリオが壁を壊す内容のファミコンのソフトで遊んでたら
わざわざ起きてきて早く公文の宿題しなさい!と怒られたことがあります。
自分はグースカ寝てるくせに子供には宿題しなさい!ですよ!


そんな家庭で小学生のときは過ごしましたので、
どんなにしんどくてもなかなか学校を休ませてもらえませんでした。


あるとき兄は気分が悪いと言って学校を休みたいと言うと
ザーマスマミーはそれは肩が凝ってるだけだ!行け!と言い、
その後兄は倒れて病院に行ったのですが
なんと肺炎になりかかってると医者に言われました。
子供を殺す気かっ!


ちなみに当時の我が家の風邪の治し方は自己治癒力に頼る、といったものでした。
ですので病院なんて三途の川が見え始めるまで絶対に行かせてもらえませんでした。


さてそんな旧日本陸軍並みの生活を強いられてた小学生時代ですが、
わたくしはあるとき学校を休みました。


翌日学校へ行くと分数計算のテストの日でした。
このときわたくしは分数の計算など人生で一度も経験したことがなく、
さっぱり分かりませんでした。


こんな問題が出てました。
1/2+3/4=いくら?


こんなの今じゃう○こしながらでも解けますが、
上記のように分数計算をしたことがないので
わたくしは4/6というように、分母もそのまま足し算してました。


その結果点数は0点。
0点ですよ!人生初の0点を小学生のときに取ってしまいました。
しかしこんなことでわたくしの悲劇が終わるはずもありません。
なんと言ってもわたくしは運のよさが0になる呪いの剣を生まれつき股間に装備してますから。


なんと!横に座ってた原さんも0点だったのです!
そしてさらにテストの回答がわたくしのと全く同じだったのです!


先生はクラスのみんなのいる前で
この中にカンニングしたやつがいる。と怒りました。
そしてなんとそれがわたくしだと言うのです!


ひょ~!
当然ながらわたくしはカンニングなんて禁断の行為はやってません。
ということは隣の原さんがわたくしのをカンニングしたのです。
原さんはかわいい顔してカンニングしていたのです。


しかし先生はわたくしがカンニングしたと決め付けて疑いませんでした。
クラスのみんなの前で無実の罪を押し付けられて総スカンですよ!
わたくしの時代は先生絶対主義王政がしかれておりまして、
どんなに暴力教師でも人を半殺しにするような教師でも強姦魔でも
現在のように罰せられることは絶対にありませんでした。


親御さんたちやザーマスセレブ気取りのPTAのオバハンたちも
とにかくあらびと神である先生様には絶対に服従しろ!このクソガキどもが!
という風潮が蔓延しておりました。


北○鮮を今の日本人は変な国だと笑っていますが、
わたくしはその当時の日本も北○鮮みたいな国だったことを知っています。


ですのでカンニング疑惑を押し付けられ、
クラスのみんなに総スカン食らっても何一つ言い返せませんでした。
下手したら先生様に噛み付かれることだってあるのです。
実際にわたくしの学校には常日頃から児童をどつきまわし、
あげく噛み付いて怪我を負わせた先生様もいます。


ですがその先生様は当時は神様として祭り上げられてたので
クビにも謹慎処分にも何のペナルティも課せられませんでした。
校長先生様にちょっと注意されただけでその日に復帰してました。


そういう学校でわたくしは苦痛の6年間を過ごしました。
こんな感じですが、それでもこの小学生時代がまだ一番楽しかった思い出がたくさんある時期です。


  


Posted by G at 12:27Comments(0)暗黒の書

2009年07月29日

過敏性大腸炎に怒りをぶつける日記

はい、こんにちは。わたくしです。
今回は過敏性大腸炎に怒りをぶつける日記です。


ここから先はグロい話が含まれておりますので
お食事中の方は絶対に読まないでください。



何を隠そうわたくしは過敏性大腸炎に悩まされています。
性格にはなんという病名なのか、はたまたこれが病気なのかは分かりません。
名前も過敏性大腸炎というのかは分かりませんが、わたくしはそう呼んでいます。


過敏性大腸炎とはどういうことになるのか?
わたくしの場合は外出時に容赦なく、突然にう○こがしたくなります。
電車の中など、トイレがない場所に限ってう○こが突然無性にしたくなるのです。


電車の中で突然襲われる猛烈な便意。
これは筆舌につくしがたいものがあります。
手に汗握り、思考はすべてう○こに集中し、他のことを考える余裕など微塵もなくなります。


便をするために途中下車なんてことは日常茶飯事です。
おかげでよく利用する路線のトイレの場所はほぼ網羅しております。
しかし、池袋駅だけは把握しきれていません。
あそこって意外と広くてややこしいのです。ややこしい上にトイレの数も少ないのです。


猛烈な便意の急襲は電車の中だけとは限りません。
さらに、例えばよくある例をあげます。


外出する前の家の中ではまったく便意が襲っては来ません。
さぁ今から外出!となって扉を出て1分ほどすると便意の急襲が始まります。
そしてまた家にリターンすることになるのです。


外出前は本当になんともなかったのに外出した途端、やつらの急襲が始まるのです。
そして見事に毎回便が出るのです。
どんだけ便を出した後でも見事にまだ便が出るのです。
どうやらわたくしの腸はこの便の急襲のために常にextra便を保存しているようなのです。


そしてこんなこともありました。
あるとき車を運転していました。
そしてやつらの急襲が始まったのです。


わたくしはあそこにならトイレがあると確信している場所まで
ケツの穴筋を引き締め、便意と戦いながらなんとかその場所まで車を運転したのです。
そしてそのトイレに到達!


このときすでに安心しきってわたくしのケツの穴筋は油断しておりました。
そしてトイレの前に来ると。。。。
「このトイレは現在閉鎖しております」の張り紙が!!!


天がわたくしを見捨てた瞬間でした。
すでにケツの穴筋は緩み、もう元に戻すことは出来ません。
不幸中の幸いで、そのあたり一体は山だったので
急いで山の中に走りこみ、用を足したのでした。


しかしティッシュなど持っていません。
そこら辺に生えている葉っぱをティッシュ代わりに使ったのでした。


わたくしはよく天に見捨てられることが多いのですが、
このときは本当にわたくしの今回の人生は天から試練を与えられたものなのだなと実感したのでした。
おそらく前世でわたくしは数々の悪事をはたらいてきたんだなと思います。
もう一切容赦なしの極悪非道そのものだったのでしょう。
今回の人生はその罪を償うためのものなのかも知れません。


とにかくわたくしの場合の過敏性大腸炎は
1.トイレのない場所での便の急襲
2.外出時
3.はじめて行く場所での便の急襲


こんな感じでございます。
医者に相談したこともあったのですが、
交感神経と副交感神経の誤作動だと言われまして、
対処する方法は便意部隊の急襲がなかったときのことを強くイメージしてくれ、とのことでした。


無理


過敏性大腸炎のほかにもわたくしにはおしっこ急襲部隊も襲い掛かってくることがあります。
映画館で映画を見ているときや、試験を受けているときにやつらは急襲をかけてきます。


ですので映画館で映画を最初から最後まで席を立たずに見れたことなどありません。
試験のときもそうです。
必ず途中でおしっこ急襲部隊に襲われるので席を立ちます。


以上です。
正直、こんな腸はいらないと思っています。
うちのなくなった爺さんも腸がすこぶる悪くていつも腹巻をしてその中にカイロのような
ものを入れていたのを思い出します。


  


Posted by G at 17:54Comments(2)暗黒の書

2009年06月21日

年齢認証に怒りをぶつける日記

はいこんにちは。わたくしです。
今日ビューアを新しいのにしました。
すると、アダルトエリアなるものがカテゴリ分けされてるではありませんか!


前々から聞いてたのですが、こういう風に分けるようにするんだなと実感した。
魅惑のアダルトエリアには年齢認証が必要とのこと。
わたくしのビューアにはアダルトエリアの欄がアクティブになってませんでした。
年齢認証をしていないからです。


そしてわたくしは立派に年齢だけは大人も大人、いい大人なので
年齢認証をしてみることにしました。
これをしとかないと大人シムへの移動ができません。
しょうがなしに嫌々大人になったのに大人の特権が使えないというのは大損でございます。


SL公式の画面から年齢認証に挑戦してみました。
ですが!年齢認証失敗しましたと言われてしまいます。
なんでーーー。


名前も住所も生年月日も免許証の番号も正確に入力してるのに、
何度やっても年齢認証に失敗しましたと言われる。
どうなってんすか?


まったくね、前のヘッドセットにしても今回の年齢認証にしてもいろいろとややこしすぎます。
一度でうまくいったことがない。
こんな簡単そうなことが全くうまくいかない。


そもそも免許証の番号なんて提出もしたくない。
できれば住所も氏名も晒したくない。
そもそもネット経由でそんなもん晒したくもない。


だからわたくしはクレカの登録もしない。
こんなもの入力したら必ずあの人たちがかぎつけてきます。
私の電話番号はタウンワークにも晒してないのに
どこかから漏れて壷売り商人やらどこかの不動産屋やらから電話がかかってきます。


前に壷売り商人から電話があったとき、断り続けてたらその壷売り商人が
わたしも田舎から上京してきてこんな時間まで電話かけまくって苦労してます
って愚痴まで聞かされた。


不動産屋なんて何千万もするマンション買ってくれって言ってきたけど、
500円のコンビニ弁当が贅沢品のわたくしがそんな金払えるわけがない。


店のポイントカードとか何か物を買ったときに個人情報を記入することが
頻繁にあると思いますが、こういうところから情報がダダ漏れしてるんでしょう。
個人情報屋って儲かってるんでしょうか。


保険屋さんがアンケートお願いしますって回ってきて
キレイなお姉さんには弱いわたくしが個人情報を書くと
延々と保険入ってくださいのお知らせが届くし、
昼飯から帰ってくるとわたくしの席にそのお姉さんがいつも立って待ってるし。
プライベートでこんなにストーカーチックに追いかけてくれるお姉さんが欲しいわ!


こんなことでしかキレイなお姉さんと話せる機会がないのにも
ほとほと怒りがこみ上げてきます。


そういえばタバコを買うときのタスポも個人情報うるさかった。
免許の写しやら電気ガス水道の領収書の写しを提出させられた。
しかも字が見えにくいとかで2回ほど提出させられた。


そしてタスポがめんどいからコンビニで買う人が激増した。
タスポ天下り法人のためになんでこんなことせにゃならんのか。
どこもかしこも天下りだらけ。
もともと腐るほど金溜め込んでる世代なのに、まだ金が欲しいってどんだけこの国のじじぃは金が好きなのか。


なんというか、怒りっぱなしの最近ですが、
今日は熱が出てダウンしておりました。
いろいろと精神的にくるものがあって考えすぎて知恵熱が出たのかも。
思うに、物事をあまり考えない体質だと人生は間違いなく生き易いです。


というか年齢認証してくれ。フィリップ創造神さんよ。
このままだと魅惑のアダルトシムに入れないじゃないか。


  


Posted by G at 01:34Comments(6)暗黒の書

2009年06月15日

ヘッドセットに怒りをぶつける日記

はいこんにちは。
今日はヘッドセットに怒りをぶつける日記を書きたいと思います。


わたくし、とある集団に出会って以来、ボイスチャットをたまにやるようになりました。
とある集団では萌え声の方もおり、ボイスを勧められまして
最初は恥ずかしいながらも今ではごく普通にボイスチャットするようになりました。


ボイスチャットをするには当然ながらヘッドセットが必要なわけでして、
近所の電気屋で買ってきたわけです。
ところが!


声はちゃんと出るんですが、ヘッドフォンの片方からしか音声が聞こえないのです。
どうもヘッドフォンの接続プラグの接触がおかしいようで
プラグを半差ししたりしていろいろ角度とかを変えるとちゃんと聞こえるのですが、
これが非常にめんどくさい。


そうこうしているうちにそのパソコンがお逝きになられました。
そして新しいパソコンを自作して作ったのです。
これで接触が悪いということはないだろうと思いました。


しかしですよ!
またまた接触が悪く、前と同じ症状になってしまったのです。
今度のパソコンも接触が悪いってどんだけどんだけなんだよ!と思いつつ、
もしかするとヘッドセットが悪いのかもしれないと思い、
全く同じヘッドセットを買い直したのです。


がしかし!
またまた接触が悪いのか、前と全く同じ症状ですよ!
片方からしか音声が聞こえない。なんだこれ。
差込みの深度を変えるとちゃんと両方から聞こえるけども、これがめんどくさいのなんの。


さらに、大勢で話すとき、ハウリングが起こってしまって使い物にならない。
周りの人に迷惑をかけてしまう。
まったくもって最悪でございますよ。


で、プラグ式のは接触が悪くなることが多いということ、
そしてUSB接続なら接触の問題はないんじゃないかという情報を得まして
今度はUSB接続のヘッドセットを買いました。


これでやっと普通にボイスができると思いきや、、、
またまた問題発生ですよ!


今度は音声もちゃんと両方のイヤホンていうの?あれ、
あの耳の部分からちゃんと聞こえるし、
しかも声もちゃんと出ました。が、ですよ。しかし、はたまたしかしですよ。


今度はSLをしている途中でUSBにつなぐと声が出ないんですよ。
環境設定でどこをいじっても声がどうしても出ないんですよ!
何だこれ?と思いつつUSBに接続したままSLを再起動すると声が出ました。


しかしですよ!またまたしかしもかかしですよ。
SLをやっている最中にそのUSBを引っこ抜くと今度はSLの音が聞こえなくなりました。
まったくSLの音が聞こえない。
川のせせらぎの音も、SL内で流れる心地よい音楽も全く聞こえない!
チャットのときにパタパタと鳴る音も全く聞こえない!


しかし、メディアプレーヤーなどで音楽を聴くと聞こえるんです。
SLの音は聞こえないんです。なんだこれ。


そしてそのまま再度USBに接続してボイスで話してもボイスが届かないんです。
なんだこれ。


もうこの時点でわたくしはヘッドセットに怒り心頭です。
すでにヘッドセットを3つも買っております。
どうすんだ?こんだけのヘッドセット。


プラグ式のもダメ。USBのは使えるけども、
いちいちSLを再起動しないと音声が出なかったり音が聞こえなくなってしまう。
どうなってんの?これ。


ヘッドセットってこんなにもややこしいものだったとは思いもよらなかった。
USBっていつでも接続、非接続できるもんだと思ってた。
なんだこの使い勝手の悪さは、と思いつつ、何か解決方法があるのかなと考えております。
みなさんはどうやって使ってるんだろう。。。


  


Posted by G at 16:18Comments(2)暗黒の書

2009年05月12日

暗黒自叙伝~高校生編~

はい、こんにちは。わたくしです。
今回はわたくしの暗黒時代の高校生編を紹介していきたいと思います。


わたくしは何回かブログでも書いている通り、
とてつもないド田舎に生まれ育ちました。
それゆえにマンモス校などが話題になった人口のとても多い世代なのですが、
わたくしの地域の学校の数は少なく、中学のとき進学する人が選べる高校は
たったの3校だけでした。


うち1校は進学校とは名ばかりの普通科のある高校。
もう一つは産業高校。
最後のひとつはその産業高校の分校である普通科でした。
あとは私学ですが、これは京都府まで行かないといけない距離で、
通うのには現実的ではありませんでした。


わたくしはそのうちの進学校とは名ばかりの普通科の高校に行きました。
英語が得意だったので英語コースに行こうと思いましたが
中学のときのうっとうしいやつがそのコースに行くと言っていて
一緒のクラスになるのは嫌だったので英語コースには行きませんでした。


そして暗黒の高校生活が始まりました。
1年のとき、ものすごくリンチなるものがはやりました。
例年になく荒れ果てた学年でして、教員の方たちも手をこまねいていました。


トイレに呼び出して集団でリンチするという手口が大流行しました。
わたくしの知っている生徒もかなりリンチされたようでした。
毎日が恐怖と隣り合わせでした。


球技大会のときなどはヤンキーたちが教室で平気でタバコ吸うし、
自転車置き場はヤンキーたちの喫煙所と化していました。
わたくしはリンチされないように目立たないように
空気と同化する方針をとりました。


見事に空気と同化に成功し、幸いにも1度もリンチされずに済みました。
ヤンキーたちは万引き、暴力などの悪さをしまくってたので、
1年の夏休み明けには停学者が50人くらいにのぼりました。


教員のひどいやり方もありました。
わたくしの学年がたるんでいる!とのことでわたくしたちは武道館に集められ、
何時間か正座をさせられました。


その正座をさせられた生徒はヤンキーたちではなく、
いたって普通の生徒たちでした。
中にはリンチの被害者もいました。
そのとき、ヤンキーたちは停学中であり、どっかで遊んでいたことでしょう。
ほんとにひどい話です。教員もヤンキーの報復を恐れ、こういうことをやったのです。


あとは現代では考えられないような恋愛禁止令が出ました。
構内で男女が手をつないだりしていると教員が注意したりしてました。
さらにはヘルメット通学。


わたくしは片道1時間の山間部の山あり谷ありの道のりの通学でした。
ヘルメット被ってるととても頭がかゆくなるんです。
通学路にはこれまた教員とPTA様がヘルメットを被っているかどうかを
監視するために道のポイントに立ってチェックをしていました。


ヘルメットを被っていないと減点され、点数がたまると自転車没収になりました。
電車やバスなんてド田舎なのでほとんど通ってなく、自転車がないと通学できませんでした。


あとは髪型とか服装チェックももちろんありました。
今のJKのようにミニスカとかなく、とても残念な時代でした。
わたくしは空気と同化していたため、友達なんてほぼおらず、
昼飯はほとんどひとりで食べていました。


たまに誰かと昼飯を食べたときに言われたショックな言葉は、
弁当が貧相だと言われたことでした。
当時、母は子育てが面倒だったようで弁当のおかずを作るのも嫌だったらしく、
おかずなんてほとんどありませんでした。
チリメンジャコだけがおかずであとは白米というときもかなりありました。


あとで聞いた話ですが、母はわたくしが中学くらいのときから
父に嫌気がさして離婚したかったそうです。
だから荒れていたのでしょう。


修学旅行もとても暗黒でした。
バスの席順を決めるときなどわたくしは空気でしたので
一緒に乗ってくれる人がいませんでした。
あんなものは本当に地獄も地獄の大地獄でした。


通学路が片道1時間ととても長かったのでよく汗をかきました。
汗って乾くと塩がふくんです。
わたくしの学生服も塩がふいていました。
しかも学生服の替えなんて持ってないので塩つきのまま通ってました。


私服も1枚も持っていなく、あるとき大阪に映画を見に行こうと誘われて
行ったのですが、わたくしだけが体操服のジャージで行くという惨めな経験もしました。


あと思い出したのが、自転車のサドルを何者かにカッターで切り刻まれていたこともありました。
ヤンキーたちがリンチをやってる全盛期だったので何かの予兆かと思い、とても恐怖でした。


またあるときわたくしの体育シューズが下駄箱から盗まれたこともありました。
あとで犯人が分かったのですが、ヤンキーでした。
わたくしが新しいシューズを買った後でそのヤンキーが俺が盗んだと白状したのですが、
そいつはその新しいシューズをくれるか、盗んだそのシューズをくれるか選べという
とてつもなく、果てしない理不尽な要求をしてきました。


それで反抗してはリンチされるのがオチなのは分かっていたので、
そのシューズをヤンキーにあげました。
世の中は本当に理不尽です。空気のわたくしをも見逃してはくれませんでした。


体育祭や文化祭などもありましたが、何も覚えてません。
毎日片道1時間というしんどい思いをして通ったのですが、
何一つ楽しくなかったですね。まさに暗黒も暗黒。
こうして苦痛極まりない暗黒時代の高校生活が終わったのでした。


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透明人間みたいに どこでも行ける うらやましいだろ
教室の中でも廊下を走っても みんな見てないみたい

なんて自由なんだろ 波のない海

誰か僕の名前を呼んで 誰でも構わないよ早く
今日はやけに暑い日だよね 喉は渇いてる 伝言はありませんか?


(引用:「透明人間」稲葉浩志)

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これはわたくしの大好きなB'zのヴォーカルの稲葉浩志という人の歌詞なんですが、
彼はイケメンで20代にして超売れっ子のロック歌手になったという
リア充なのですが、どうしてこのような悩み多そうな人生を歩んできたかのような
歌詞が書けるのか謎です。




  


Posted by G at 18:40Comments(0)暗黒の書

2009年04月24日

暗黒自叙伝~中学生編~

はい、みなさんこんにちは。わたくしです。
今回はわたくしの暗黒の中学生時代の話です。
思えばこの頃からわたくしの人生が本格的に暗黒に染まりつつあるのが分かります。


わたくしの住んでいた地域はとんでもないど田舎なので、
小学生のメンバーがそのまま中学生へと上がりました。
メンバーの入れ替えは一切なしでした。


まず1年生のときある一人がしつこくちょっかい出してくるという
とってもうっとうしい出来事が始まります。
そいつは友達がひとりもいないやつで、今思えばこれまた友達がほとんどいないわたくしと
友達になりたくてちょっかいをかけてきてたように思います。


しかし、中学生のときですのでちょっかいや悪ふざけもこっちは真剣に受け取ってしまい、
うっとうしいことこの上なかったですね。


わたくしは幼稚園のときにすでにローマ字をすらすら読めるという神童だったので、
中学から始まった英語教育はとても楽しいものでした。
そしてちょっかいかけてきていたアヒル口坊主も英語が得意でした。
英語の試験は先生がいやらしくも全員の得点を公表するという方式を取っていました。


幸いわたくしは英語が好きで毎回高得点を取っていたので安心でした。
最下位の人の得点までみんなの前で晒すという悲惨なことをされていたので
英語が苦手な人にとっては苦痛この上なかったと思います。


そしてこともあろうに、そのアヒル口坊主も英語が得意で、
いつもわたくしと1位2位の奪い合いの熾烈な争いを繰り広げておりました。
ここでもアヒル口坊主とは持ちたくもない縁があったのです。
うっとうしくてしょうがなかったですね。思い出したくもない!


そして、これまた暗黒なのがわたくしの友人でした。
仲の良かった友人数名が中学2年生頃だったでしょうか、突然手のひらを返したように
わたくしを攻撃し始めました。原因は今でも分からず。


毎日こっぴどくからかわれ、それはもうとても暗黒な思いをしました。
ある日ついにわたくしがキレてその車会社社長息子ボンボンを殴りましたが、
逆に殴り返されてわたくしが泣いて帰るというとても暗黒な出来事がありました。
わたくしは当時ものすごくチビだったのでそれをからかって来てたのかも知れません。


そういえば、この中学校では髪型は丸刈り強制という旧日本軍のようなしつけもされてました。
さらには徒歩通学生もヘルメット着用強制でしたね。
ど田舎で車なんてそうそう通ってないのにヘルメット強制着用。
空から爆撃機が空爆でもすると思い込んでいたんでしょうね。教育委員会の戦時中生まれの方々は。


まだ暗黒がありました。
それは理科教師マッドサイエンティストです。
夏休みが明けてから急に理科教師マッドサイエンティストはわたくしを攻撃し始めました。
みんなの前で問題を解かせ、できなかったらアホと呼ばれたり掃除のとき
わたくしの掃除の仕方はアホがやるやり方だなどと周りの生徒に教えていました。
凹みましたね。毎回理科の時間はわたくしに問題解かせてアホ扱いでしたからね。


そういえばまだ暗黒教師がいました。
音楽の先生で音符チンピラ爺というのがいたんです。
音符チンピラ爺は音楽の時間、人のノートの書き方にイチャモンをつけ、
みんなの前でこういうノートの取り方するやつは市ねとか、
生徒を呼ぶときはそこのチンピラとか、そこのアホとかって呼んでました。


さらに音楽の時間中ずっと怒りマックスでやっていました。
授業に遅れると普段でも怒ってるのにさらに怒りが増すので
みんな音楽の授業に行くときは廊下をダッシュして暗黒部屋である音楽教室に向かってました。
この音符チンピラ爺は精神的に病んでたらしく、途中で自殺してしまいました。
彼もまた暗黒の闇に包まれた人生を送っていたのでしょうか。。


あとは修学旅行でスキーに行って、吹雪の最中にゲレンデに出て
顔が凍傷になったのも暗黒出来事のひとつですね。


部活は卓球部だったのですが、これは楽しかったです。
いつも1番にはなれなくて2番手でしたけどかなり活躍しました。
あれは本当に楽しかったです。


さて次回の暗黒は高校生編ですが、これはもうまさに黒歴史そのものです。
思い出したくもないくらいのどす黒さです。
それではまた次回に。


  


Posted by G at 12:50Comments(0)暗黒の書

2009年04月16日

暗黒自叙伝~小学生編~

はいこんにちは、わたくしです。
今回は暗黒自叙伝小学生編です。


小学1年のときにいきなり暗黒の洗礼を受けたのでした。
文化祭というか学校祭のときにクラス単位でなにか催し物をするんだけども、
1年のときに自分の名前の由来を発表するという催し物をしました。


わたくしの順番がまわってきて発表するといきなり全校児童が大爆笑!!
なぜに大爆笑なのか、それはわたくしの名前が変な名前だったからです。
幼かったわたくしはそれまで自分の名前が変だとは思ってなかったので、
いきなり現実を突きつけられた瞬間でしたよ。


それ以来この自分の名前に関してはずっとバカにされ続ける学生生活が始まるのです。
クラス変えや中学、高校へとあがっていくたびにからかわれ、バカにされる運命が待ち受けていました。


この名前のおかげでわたくしは、もともと対人能力なんてない上に
さらに輪をかけて人見知りになっていくことになるのでした。
よく親になんでこんな名前つけたんじゃ!とケチつけてました。
親いわく、おじいさんがこの名前にしろってうるさいから。。。とのこと。
わたくしの親はわが子に自分の名前すらつけれない方々なのです。


親のすごいところをあげればびっくりしてしまうほどあるんだけど、
そのうちの一つに電車に乗れないというのがあります。
ひとりで電車に乗って移動できないのです。
切符の買い方も知らないのです。もう頼りなくてしょうがない。


さて、わたくしが小学生になった頃は父上様がひどく機嫌が悪い時期でもありました。
夕飯時には祖父様と父上のバトルが始まります。
怒鳴る怒鳴る怒鳴る、そんな怒号の中での楽しい夕食でございましたです。
この頃からわたくしは父上とは高校を卒業するまで話をしなくなったのでございます。
話しかけるといつも怒鳴られ、ときには殴りかかってくるので話ができなかったのでした。


一度おもしろかったのが、父上が自作でコタツを作ったとき、
みんながそのコタツの足の長さがちょっと短いんじゃない?と言った時です。
いきなり父上はいつものように発狂し始め、コタツを怒りながら解体し始めました。
このエピソードを姉が中学の英語のスピーチのときに話したらしく、
大爆笑を取ったぞと喜んでおりましたです、はい。


さて家庭内はこのように毎日暗黒に包まれてました。
学校ではというと、暗黒に身をゆだねた教師がおりました。
その教師は児童をかたっぱしから殴る、怒鳴る、噛み付くといった猛獣でございましたです。
とてもピザなおそらく20後半くらいの年齢だったでしょうか、
そんな暗黒教師がおりました。


暗黒教師は機嫌が悪くなれば目の前にいる児童を殴り、持ち上げて投げたりもしてました。
一度児童のほっぺに噛み付き、傷害を負わせて校長に叱られてました。
わたくしたち児童はこれで暗黒教師がクビになると喜んでましたが、
なんと校長に怒られただけでクビにならず、何事もなかったかのように復帰してました。
そしてまた殴る、怒鳴るのオンパレードが始まりました。


また、わたくしは4年生になるまで泳げませんでした。
なぜかというと水が極度に怖かったからなんですな。
なぜに水が怖いかと申しますと、これまた暗黒教師が絡んできます。


わたくしが1年生のときにプールの時間にある女性暗黒教師に目をつけられまして、
泳げないわたくしを暗黒教師は深い方のプールに投げ込んだのでした。
当然泳げないのでおぼれて死にかけました。
水をいっぱい飲んでおぼれたんですな。


これを機にわたくしは水が怖くなり、プールの時間になるたびに
おなかが痛くなって休むようになりました。
しかし暗黒教師はこれを見逃しはしません。
毎回休むので無理やりプールにつれていかれて拷問を受けました。


4年生くらいになるとまわりのみんなは泳げるようになっていき、
わたくしは取り残されたかのような感情を覚え、これではダメだと思い、
夏休みには毎日プールへ行って泳ぐ練習をしました。
そのおかげで周りの人よりもうまく泳げるようになったのでした。


ということで小学生のときの暗黒はこれくらいかなぁ。
あとは筋肉マン消しゴムがはやってみんなで遊んだり、びっくりマンシールを集めたり、
あと衝撃的なのがファミコンの登場でしたね。
これは本当にものすごい衝撃でした。


そんなこんなで今から思えばそれほど暗黒でもなかった
小学生時代が過ぎていったのでした。


  
タグ :暗黒小学生


Posted by G at 18:46Comments(0)暗黒の書

2009年04月13日

暗黒自叙伝~園児編~

さてこんにちは、わたくしです。
すっかり春になっていきなり暖かくなりましたね。
異常気象で地球滅亡までの時間が狭まったように感じる今日この頃です。


近所では桜も満開でございます。キレイですね~桜ってのは。
日本人に生まれてよかったなんてベタなセリフを言いたいです。


さて、すっかり春になったことですのでわたくしの自叙伝でも書こうかなと思います。
SLでのネタが最近あまりないのでRLの話でもいいかなと。



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さてわたくしはある日生まれました。
年の瀬もせまったクソ忙しい時期にわたくしはこの世に生れ落ちたわけです。
わたくしの両親も交尾の時期をもうちょっと考えてくれればよかったのに。
エックスは計画的に!ですよ、みなさん。
既婚の夫婦の皆様方、気をつけてください。


よくこんな言葉を聞きます。
「生まれてきた人はみんな祝福されてうまれてきた」と。
何をおっしゃいますか、みなさん。
うちの親父は「子孫繁栄のために作った」と豪語しておりましたよ。
なんだか野生の王国みたいな世界です。


さてわたくしは保育園には通っていません。
上の兄弟はみんな通ったのになぜかわたくしだけは保育園に通いませんでした。


そしてわたくしの黒歴史はなんと幼稚園から始まります。
幼稚園っていえば何歳だ?
よく分からんけども、とにかくわたくしの黒い歴史がこのいたいけな幼少期に始まります。


わたくしはいっつも泣いていました。
幼稚園の迎えのバスが来るのですが、これが家に到着するとわたくしは
毎回毎回どっかに連れ去られると思い、恐怖と不安で泣きまくってました。
もちろん両親はいやがおうにもわたくしを無理やりバスにねじ込んで送り出してました。


さて、号泣の中、幼稚園に到着するのですが、到着しても全くやることがありませんでした。
幼稚園も途中から入園しました。
いわば、中途入社のようなもんです。
とんでもないど田舎に生まれましたので、村のお子たちはみんな同じ幼稚園に通います。
中途採用で入園したわたくしにとってこの環境はとてもきつかった。


まず、園児たちはすでに派閥ができあがっており、わたくしが入っていく余地はございませんでした。
わたくしはただただボーっとしているだけでした。
壁を見つめたりロッカーを見つめたりして過ごしていました。


幼稚園にはクラス分けみたいなのがあって、あじさい組とかかたつむり組とかがありました。
ロッカーにはその組のシール(かたつむり組ならかたつむりのシール)が貼ってありまして
それをじっと見つめて何かの妄想をふくらます、そんな暮らしでした。
友達なんてひとりたりともできないそんな園児でした。


だからクレヨンしんちゃんなんか見ても何ひとつピンときたり、思い出にふけることなんて一切ございません。
まず思い出なんか壁とロッカーしかありませんから。


あとは何かネコのお面を被って演劇をしたような記憶があります。
そんな暗黒の幼稚園生活でした。


最後に、こんなやつがSLに潜んでいるのでみなさんも気をつけてください、
いや、別に危険性はまったくありませんが。
ということで幼稚園編は終わります。
さて次回は小学生の暗黒自叙伝を書くかもしれません。


なんだかなぁ、春なのでちょっと気持ちがおかしくなっているようです。


  
タグ :暗黒幼稚園


Posted by G at 21:18Comments(0)暗黒の書